FC2ブログ
片側顔面痙攣のこと

高齢化に思ってみること。

0
ド級・高齢の近親者が、大怪我をした。

よくある、というか。
よく世間できく感じの出来事。
散歩の途中で、つまづいて、どおーん!
前のめりになって、両手をつくことなく、
顔面から地面に落ちた、のだという。

幸いなことに、家族がたまたま同行していたのと、
近くにいた男性が、たいへんご親切なことに(感謝!)
手助けと、救急車の手配をして下さったと。

しこたま打ち付けた顔面は、片側が切れ、
かなり流血したらしかった。
搬送先の病院で、6針縫ったという結果になった。

健康のために歩く。
それが、高齢になり、
足元が不安定になったために、こんなことになった。
何か、悲しい感じがした。
もはや、ただ散歩するだけでも、危険なことになってしまった。

身内たちも、口をそろえて、
「もうひとりじゃ外出は、ダメだね」
そのとおりだと思う。

のは、周辺だけで、とうの本人は、これがまた。
高齢を認めていないのだ。
認めたくない、という意地ではなくて、
本気で、認めていないのだ。
年寄り。
高齢者。
ご老人。
そういうモノと自分は「違う」と、本気で思ってるフシがある。

「地面が凍て付いていたからな。
すべったんだな」とか、
「寒くて動きが鈍ったんだ」とか言っていた。

大きく、腫れに腫れて、青く滲んだ顔面と、
ドデカい絆創膏を貼り付けた、それで、
そんなことばかり言っていた。

ふと。
亡くなった、母方の祖母のことを思い出した。

祖母も散歩が大好きで、ひとりでよく歩いていたけど、
足元がもう危ないから、と、
親族が”手押し車”を贈ったら、
「アタシはそんな年寄りじゃない!
恥ずかしくてそんなもの、使えるもんか!」と
烈火のごとく、反発していた。
のを、思い出した。


順序良くきちんと、前へならえ、して、
きちんと”年寄り”を、受け入れてゆくタイプと、
並んだ列からどわーっとはみ出て、
だっと「おれは高齢者なんかじゃねえ!」と、受け入れを
避けようとするタイプと、いったいどこが違うんだろう?
いったいどこら辺りから、その分かれ目が出来るんだろう???
じゅうぶん、元来の性格が、大きくかかわってはいるだろうけれども、
それでも。
不思議だー

高齢の近親者の様子を見ていると、
座っているときは比較的シャキッ!と見えていても、
歩き出すと、てきめん”年寄り”になる。
歩き方が、若者のそれと、別物だ。
足が動いていない。
ほとんど持ち上がっていなくて、ほとんどすり足。
背中はそれに伴い、丸くなって、前かがみ。
あるいは、姿勢のよいひとは、妙に後ろに重心があったりして。
とにかく、全体的に、動けていない。
だから、ほんのちょっとした段差にも、つまづく。
これ、道理。

自分もああなる。
自分もこうなる。
そう思う。
これも、道理。
いづれ自分も歩む道すじだ。

でも、そのとき、きっと、自覚していよう。
そう思うようにしてる。
高齢というものを、自覚していようと、思う。

受け入れることは、難しい。
ときどき、本当にやっかいだと思う。
拒絶することは簡単だし、また、
近親者のように、はなから考えていないことも、簡単だ。
そうならないでいよう、と思ってる。

高齢になることに、何かメリットはあるのかな。
そのことも、ふと思いがよぎった。
ら、私にはひとつだけあった。

片側顔面痙攣、だけど、
もう若者じゃないから、周囲からの見た目を
気にしなくなりつつあること。
そこは、高齢化の、利点だなと(苦笑)

私は割りと、目がぱっちりしていて、
なかなか印象的(笑)
若いときは、ちょっとご自慢で(笑)
さらにいっそう大きく見せようと、
アイメークはバッチリ、頑張っていた。
「目が大きいね~」と言われると、
いやあそれほどでも~なんて言いながら、
「うんうん☆そうでショ」と思って。
アイメークのテクニックも上々なものだった。

でも、今はもうほとんど、しない。
おざなりに、パパッとササッと。
何せ、コンタクトレンズ使用を捨てて、
完全眼鏡ライフに切り替えた。
眼鏡だと、痙攣が分かりにくいから。それに決めた。

もう、若者じゃなくて良かった(苦笑)
これだけが、私の、高齢化の利点。

でも、やっぱり総体的に、
高齢化に、何かいいことあるのかな。
何だかなあ、ばっかりだと、
何だかなあ、ちょっと未来は暗いなあ(苦笑)



090vbn.jpg






スポンサーサイト

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply