神様からのギフト。

片側顔面痙攣で、多くの人は、痙攣だけ、みたいだけど、
私の場合は、耳鳴りもある。
それも、結構、強い耳鳴りだと思う。

ずんずん。
ざざざ。
ざあざあ。
どんどん。
どうでもいいけど。擬音の表現なんて。
とにかく、うるさい。やかましい。

痙攣が激しく出ると、
一緒になって、耳鳴りも大音量になる。
一蓮托生。こんなときに使ってもいいのかな。
一蓮托生。
一心同体。これもいいのかしら。
とにかく、痙攣と耳鳴りは、いつも、決まって一緒だ。


痙攣が強く出ると、私の痙攣する側は、
顔の右側。
だから、右目の辺りが、ぎゅっと一瞬狭くなる。

視野が狭まるから、ときおり、はっとする。
一番それを思うのが、自転車に乗っているとき。

痙攣が強く出続けるときは、要注意。
危ない。
というか、危ないことになってはいかん、と思うから、
気をつけて走行するようにしてる。
慎重に。右左右。
後方にも注意を払って。

面倒くさい。

本当に、煩わしい。
ただでさえ、煩わしいのに、ますますもって、煩わしい。
邪魔臭くって、本当にイライラする。

でも、ほんのごく、少しの間、痙攣が治まるときがある。
最近では、痙攣が出ていることがほとんどになって来たから、
思いは逆転してる(残念無念)
痙攣が出ることもある、から、痙攣が治まっているときも、ある、に。

痙攣が治まっているとき。
それが、その自転車をこいでいるときだと、うれしくなる。
危ないことと喜びは、表裏一体(苦笑)

すーっと。
ただただ、前を向いてだけ、すーっと走る。
この爽快感。
ハタ目には、ただ自転車乗ってるだけの人だろうけど、
私の中では「幸せだなあ」に浸ってる。
そういうときがある。
もう、ごく、まれな時間、になっちゃったけれど。

痙攣もなし。
耳鳴りも、ない。
外の、周囲の音だけの世界。

本当に、ぱたっと、痙攣がやむ。
痙攣が完璧に、止まる。
そんなことが、ほんの数分。
ううん。いいや、数十秒。ある。

周囲の音がどれだけしても、静けさを思う。

今、もし私が、どれだけ静寂の土地へ行ったとしても、
痙攣と耳鳴りで、音だらけ。
うるさいなあと思うに、決まってる。
誰も人のいない土地。
何も建物のない場所。
いきものの何もいないところ。
そういう空間へ行ったとしても、
とにかく、私は、私自身の中身が、やかましいから。

それが、数十秒だけ、私の中が、鎮まるとき。
そのときだけ、私は世界の静寂を思う。
感じる。
どれだけ、車のクラクションが鳴ろうと。
子どもたちの、クラブ活動のかけ声がしようと。
ちり紙交換の車が走っていようとも。

どんな神様のことも、私はふだん思って暮らしていない。
どんな仏様のことも、思って暮らしていない。
でも、ときどき降って来る、私の中の静寂は、
どこかの神様がくれたギフト。
そんな気がする。

街中の雑踏でも、静けさはある。





1221oi (5)






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2015-12-27 : 片側顔面痙攣のこと : コメント : 0 :
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プロフィール

lou.c

Author:lou.c
2013年10月、片側顔面痙攣で開頭手術を受けました。煩わしかった痙攣から解放された☆と思いきや、術後約1年数ヵ月後、また魔の痙攣が始まりました…
この症状について、さらには病というモノなどについて、さらにさらにはいろいろよしなにごとを書き綴りたいと思います。

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