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お受験狂騒曲

勤め先の同僚である、仲良し主婦スタッフさんちの、
お子さんが小学受験をしていた。

そして結果、見事合格!
おめでとうございますーっ!☆やったね☆
相当な難関小学校だったから、
「受かるか分かんないですけどね!」などと、
謙遜されてたけど。
でも、とても教育熱心なスタッフさんだから、
お子さんと一緒に、受験へ向けて日々頑張ってらした。

で。
ここから。
聞いてビックリした。
それは。
合格発表の翌日から、幼稚園で、
ママ友さん達からめちゃめちゃ”素っ気なく”される
と、聞いたこと。

「子供には、合格したことを幼稚園では、
誰にも言っちゃダメだよって、言い聞かせてたんですけどね。
うちの子、おしゃべりだからつい言っちゃったらしくて。
まあもういいんですけどねぇ」 と、同僚主婦スタッフさん。
サバサバした人だから、それほど気にしてなかったのが、
幸いだと思う。
とにかく。
合格したことは、幼稚園の先生と、
親しいお友達だけにそっと伝えたそうだけど、
まだ幼いわが子の口には、戸は立てられなかったらしい(苦笑)
そりゃね<受かった>と、親が大喜びしてるんだもんね。
子供も誇らしいと思ったでしょう。
分かる分かる、だからしょうがないね。

でも、本当に翌日、
園にお迎えへ行ったら、
知り合いのママさん達が、挨拶もソコソコに、ささささーっと、
蜘蛛の子散らすみたいに、いなくなるんだそうだ。
それは、今回、お子さんが同じ小学校を受験して、
縁の無かった子のママさんだけでなく、
お受験しなかった子のママさん達までもが、そうだという。
なんで???
不思議ー
いやあおめでとう~☆の一言くらい、なんで出ないのかしらん???

「すごい人は、
〇〇ちゃんが受かったくらいだったら、
うちの子も受験させとけば良かったって言う人もいますよ!」と、
同僚主婦スタッフさん。
それを聞いてあたしはつい、
「ほえーっ!そんなこと言う人いんの?!」と、
素っ頓狂な声を出しちゃった。
すげえなあ!そんなこと言えるなんて!
いやはやぶったまげたあ!

って。
あたし。
「そんなこと言う人には、
あらあ!ほんとですよ!
受験、受けられてたら良かったのにぃ~
お宅の〇〇ちゃんなら、ぜーっっったいに
△△小学校、受かってましたよぉ!☆
って、言ってやればいいんだよ!」
と、同僚主婦さんに言ったら、大爆笑してくれた。
良かった良かった(笑)

あたしの知人の話で、
きょうだいで受験をして、
上の子は不合格で、下の子が合格したりして、
一時期において、お家の中が、
なかなか繊細な状態になったお宅もあったし、
親戚が同じ学校受験で、
同じく合否で、繊細なことになったり、とかも
聞いたことがある。
いわんや、同級生の子同士が、なんて、ザラ。
<お受験狂騒曲>という感じか。

でもさ、と部外者のあたしは思う。

あたしの、遠戚のとあるきょうだいは、
物凄く頭脳明晰で、それぞれが中学受験を見事合格。
晴れて超・名門進学校に入学したけど、
ひとりは高校で、
ひとりは大学で、ドロップアウトしてしまった。
学校が嫌になったらしかった。
親はショックを受けたし、子供たちも子供たちに苦しんだろうし。
なんとも悲しいことになってしまった。
けど。
もう何年も昔の過去の話になった今では、
それぞれが自分の道を歩み出してる。
たまたま、先日、会う機会があって話たけど、
朗らかになっていた。
学生時代の雰囲気は、正直陰気な感じがして、
暗かった。
なんつーか。
若者らしい若さがちょっと、無かった。
けど、今ではどちらも、その姿が消え、
爽やかな様子で、ふつうの大人になってた。
それがすごくイイ感じだった。
これで良かったんじゃないかなあ、と、思う。
まあねえ。
親御さんの気持ちは、まあねえ、いろいろあるだろうけどモ。
そりゃ、うんと幼いころから英才教育をして、
たんとお金も使っただろうし、
将来のわが子へ描いた夢なんかも、あったろうからねえ。。。
この種類の話は、実は、いくらでも知ってる。
ほんとによくある話なのだわ。

ああ、その逆もある。
あたしの知り合い。
今頃どうしてるのかなあ。
もう何年も会ってない。

凄い大学に現役合格。
親御さんも大歓喜。
そして当然、新卒で一流企業に就職。
親御さんまた歓喜。
で、これからが凄かった。
やっぱりもう少し勉強し直したい、ということで退社。
メチャ賢い大学院へ進学。
以降、すごい大学院へさらに編入。
その卒業後、今度はヨーロッパ圏の名門大学の大学院へ。
その後さらにさらに別の名門大学の院へ…
と、研究に研究に没頭。
最初は進学するたび、喜んでくれてた親が、
海外のその超名門大学の院へ行くというときには、
空港までの見送りすらなく、
帰国後さらにまた別の名門大学へ、という話をした際にいたっては、
両親が「いつまで学べば気が済むんだ」と言ったらしい(苦笑)
世界に名だたるいずれも超・名門校だのに、
もはや親にとってはそれも過分過ぎたという(苦笑)
事実、学歴が凄過ぎて、
その知人は、就職出来てないこの日本の現実。。。
とかね。

”受験”だけが全部じゃないと思うけどね。
いろいろあらあ、が人生の真相なんじゃないかねえ。
まあねえ。
生きてる道が、ふらふらのへろへろなあたしだから、
深いトコは、よく分かんないけどね(苦笑)



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2018-01-29 : よしなし雑記 : コメント : 0 :

ご連絡下さった皆様によせて

悩ましき片側顔面痙攣のことで、
このへっぽこではありますが、
私に宛ててご連絡下さった皆様。
その後、いかがお過ごしでしょうか。

自転車に乗りながら。
通勤のバスの中で揺られながら。
電車の窓の外を見つめながら。

ご連絡下さった、
お会いしたことのないどなた様かのことごとを、
思い馳せたり等しております。

何度かこのブログにも書きましたが、
片側顔面痙攣の手術をなさった方々で、
素晴らしい結果の、完治を迎えた方々は、
ほとんどの方が<その後の経過>ですとか、
<その後の具合>などを記事にされることなく、
ブログ更新をほぼなされることなく、終息が多いと思います。
(羨ましい・・・)

ですが、私はかなり、粘っこい(苦笑)
くどい性質なので、しつこく地道に文字にし続けようと
思っております。
年が変わりもう2月も見えて来ていますが、
そんなどうでもいい個人的気持ちの表明を、
新春のうちに、勝手に、ココに(苦笑)


最近の私の具合は、と書きますと。

幸いなことに、痙攣と引きつりは依然消えています。
幸いなことに、1度も再発まではしておりません。
ただ12月半ば頃から、
若干の、本当に若干の若干の、
微弱な痙攣のようなものは、
右瞼の奥底の方で、あるときも、あります。
でも、ババッ!と手鏡を持ち、
それこそ穴が開くほどガン見するのですが、
まつ毛の先がピピと「揺れた???」ですとか、
瞼の下側がツツと「動いた???」ですとか、
そのくらいで現在終始しています。

耳鳴りは、無念ですが、あるままです。
痙攣は取り合えず消えているのに、
耳鳴りだけは残っていることは、
本当に不思議ですし、
正直諸々不安でもありますが、しょうがないですもんね。
現実です。

それよりもむしろ、無関係のはずの右瞼上の方に、
最近「むむむ?!」と。
ごくごく弱いけれども、ビビビと痙攣のたまご、
みたいなものを、感じています。
これが大変まれな、レアケース、
左右ともに発症する片側顔面痙攣でありませんように!
などと、心の底から懇願しておりますところです(祈願)

家族らに言わせると、
「そんな痙攣くらいふつーにある!!!」

と。
私のこの世界一のような小心っぷりに、
呆れるやら憐れむやら(苦笑)しております。
家族ですから、もうこの辺の鬱陶しさは諦めて貰います(苦笑)
でも、この不安さや悩ましい思いの煩わしさは、
片側顔面痙攣体験者でなければ、分からないと思います。

夏と冬とでは、
やはり冬の方が、血管等も収縮するだろうから、
痙攣も出やすい、とかあるかも。
などと、素人判断での推測をしたりしています。
今は、国内の何処も、
最高潮に寒く冷えている時期なので、
少々の微弱な何かには、一喜一憂しないでいよう。
そう思っています。

私が今度、病院を受診するのはこの5月。
新緑の頃の予定です。

担当医に半年ぶりに面会をして、
そのときには是非是非
「おかげさまで、痙攣は消滅したままです☆」と言いたいなあ!
担当医のそれはほんとに良かったですね!という、笑顔も見たい!

永遠の完治という希望をもって、
日々暮らして行きたいと思っています。


ご連絡下さった皆様、
どうぞお大事になさっていて下さい。
1万人に1人いるかどうかの、片側顔面痙攣。
消滅目指して、一緒に頑張りましょう!☆



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2018-01-21 : 片側顔面痙攣のこと : コメント : 7 :

平癒祈願

義兄の脚の手術は無事成功☆

術後すぐ、姉からメールがそう届いていて、
勤務後の更衣室で読んで、ホッとした。

手術は、全身麻酔で5時間。
聞いていたよりも結構長かったから、吃驚した。
けど、吃驚したのは、この先のこと。

術後は、酸素マスク付けられてたそうだし、
もちろん様々な器具や管もいっぱいだったらしけど、
程なくして、どんどん器具が外されていって、
なんとまあ、夕方には義兄、
早くも、病室のベッド回りを歩いていた!という!
ひぇーーー!マジですかぃなー!と。

もちろん、術後すぐなので、
主治医と看護師さんたちの
注視と指示あっての行動だったそうだけど、
それでも、全身麻酔で手術をして、
ほんの数時間しか経ってなくても、
「ちょっと動いてみましょうか~」になるんだなあ!
指示自体にも、動き回れる義兄にも、
いや~ホント驚いたー

さらには、そのあとすぐ提供された、
病院食の晩ごはんを完食したという。
いやはや、もうホント、あたしは吃驚以外無かった。
すごいな、超人みたい、義兄!(笑)

お見舞いは、手術日翌日に行った。
初めて立ち入った病院は、
かなり大きな規模だったけれど、
入院病棟の入り口から入室したから、
ひと気はほとんどなかった。
でも。
「ああ入院病棟に来たんだな」
そう思わせる”気配”が、十二分に、そこにあった。

消毒薬のような匂い。
清潔な空気。
静寂な病室の、数々のドア。
小走りに走り去る看護師さん達。
次の用事を待つ、ステンレス製の作業台。
遠くを歩く、白衣の医師。

懐かしい。

半年ちょっと前に、あたしが2週間
過ごした空間だった。
懐かしい。
そして、苦しい気持ちにもなった。
辛くて切なくて、いろんな感情が渦巻いて、
手術入院を決意して過ごした、場所。
のんきで、穏やかな思いではいられない。
それは至極当然のことだろうと、思う。
一緒に、義兄のいる部屋へ向かう、
先を歩く、姉にも、
大きな病院ねと、感心している母にも、
このあたしの気持ちは、分からない。
それで、いいんだけどね。
それが、いいんだけどね。

義兄は、とても元気な様子で、部屋にいた。
さっきまでまた病室内を歩いていたらしい。
傷口の痛みはそりゃまあキツく、あるにはあるけど、
耐えられないことはない、と笑顔で言っていた。

肝心の術後の脚の具合は?ということについては、
もっと長距離で歩いてみないと、ワカランとのこと。
ただ、感じとしてはイイ感じがする、と言っていた。
ほんと、良かった良かった~

当然だけど、
義兄の腕には、点滴用の針が刺さっていたし、
点滴の袋と、器具から点滴の管、もぶら下がっていた。
何もかもが、まだまだあたしには、いろいろが、生々しい。
ほんの少しだけ、胸がドキドキした。
こんなだった、こんなだった、と、
再手術の入院の日々が、がっちり、フラッシュバックした。
目の前にいる管と器具だらけの人物は、義兄ではなく、
なんだか、自分自身を見ているみたい。
そんな気が、うっすらしたくらい、だった。

義兄は、わが姉におねだりしていた、
お土産のシュークリームとコーヒーを飲み、
母やあたしにも、せっせと食べてねと、勧めてくれた。

その元気な様子に、母も安堵。
もちろんあたしも、と思いながら、ふと見ると、
義兄の腕のチューブが、真っ赤っか。
血がめっちゃ逆流してるじゃーん!
血液にヨワヨワなあたしは、看護師さん呼んだ方が!と、
若干動揺。
入院体験したばかりでも、コレ(苦笑)
騒ぐまでのことではない、とわかっちゃいるけど!
ナースコールで来て頂き、
チューブと注入口を確認して貰って、
ようやくあたしも、完全なる安堵に(苦笑)

昨日、全身麻酔で5時間の手術をしたばかりとは、
見た目も様子も思えない、義兄と、
個室だったから、家族でじゃんじゃん話をした。

あたし 「寝転んだままで見える、
      小さな時計、あった方が良くない?」
義兄 「そうそうそう!欲しい欲しい!
     いちいちスマホ持ち上げて見てたけど、
     あった方がいい~」
あたし 「背中にクッションひとつ、あると
     おにいちゃん、楽そう」
義兄  「そうそうそう!あると楽~」

あたし 「S字フックが1個、ベッドサイドのここに
     ぶら下げて何か袋でもあったら、
     ちょこっとしたゴミ捨てるのに便利よ」
義兄  「そうそうそう!分かるぅ~」
「やっぱ、入院したばかりだと、
患者の気持ちがよーく分かってくれるよなあ!」
なんて、義兄は盛大感心された。
ただ、姉だけは「病室なんだから!
そんな快適な部屋にしなくてもいいじゃん!(激呆)」だったけど(苦笑)

今ならあたしは、入院中の気持ちが、よくよく分かる。
義兄の言う通り。
よくよく分かる。

動いてないから、微熱も出やすいよ。
けど、病院では、37度台程度の微熱なら、
だからほとんど気に留められないよ。

食事は、病院食をそりゃまあ食べた方がいいに
越したことないけど、でも、
食べられるものを食べたらそれでいいんだよ。
食べること自体が大事だからね。

水分はうんと十分摂ってね。
病室はすごく乾燥してるし、
おしっこも出して、循環よくした方が良い。

お薬は飲み忘れないように。
もしも忘れちゃっても、まとめて飲んじゃダメだよ。
必ず看護師さんに相談するように。


義兄に、ものすごく感心されながら、
手術のときの話やら、執刀医師のことやら、
入院にまつわるいろいろな話をして、
じゃあまた来るね、と病院をあとにした。

義兄は、病室へ持ち込んだパソコンで、
このあと仕事をすると言っていた。
無理しないようにね。義兄(笑)
でも、無事成功で良かったね☆

義兄は、退院してからは、
たぶん、あたしほど、
何かの病のことやら、
何かの症状のことやら、について、
考えを巡らせたりは、しないだろうと、思う。

義兄の今回の手術は、外科手術だから、長引かない。
不具合があった部位をどうにかしちゃったら、
それで相当部分、完了だから。
完全なる完治も、完全に、ある。
将来の<再発>リスクは、
もちろん有るにはあるけど、そう大規模じゃあない。

あたしの体験している、
片側顔面痙攣とは、ちょっと、やっぱり、違うと思う。
あたしのこれは、持って生まれた<運命>みたいなもんだ。
脳内のとあるフィールドが、
通常より若干狭く生まれていること。
血管と神経がどうしても触れていること。
加齢とともに、血管壁も硬くなって行くこと。
これはどの人にもいえる現象ではあるけど、
それが元来の片側顔面痙攣キャリアであると、
再発リスクは、増すこと。

自分の<運命>に抗うほど、大変なことはない。
余程の強い精神力や体力、気力を要する。
あたしはそんなに、タフじゃない。
けど。
どうあっても、1度の人生だから、しょうがない。
しょうがない。
自分なりに、小さく奮闘するほかない。
この感情は、たぶん、義兄より数百倍持ってると思う。
無頓着な義兄は、ハナからそんな気持ち、
持ち得てないかもしんないけど(苦笑)

再手術をした病院と、あたしは、
まだ繋がってる。
今度、主治医の診察を受けるのは、5月。
その日はまだまだ、去年のその日から、地続き。
それが、すっかり立ち消える日が、いつか来るといいな。
地続きが、いつかすっかり、消えるといいな。
入院・手術をされた方々のどなたもが、
それぞれが持つ、いろんな地続きから、
いつか解放されますように。




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2018-01-13 : よしなし雑記 : コメント : 0 :

想像できるということ

義兄が入院した。
近く、脚の手術をするためにだ。

入院の日が日曜なのには、両親も吃驚していた。
あたしも同感。
ちょっと驚いた。
もっと言うなら成人の日とか併せて、連休になるのに。
手術前の事前検査とかが、
外来受診がない休みの日の方が、いいのかな?
そんなことを、家族で話したりした。

義兄の手術まで、2日間の猶予がある。
もちろん検査とかがあるだろうし、
体調管理を病院側に、きちんとして貰って、
手術へ挑む。
これが目的だろうけど、
寂しがりの義兄は、入院前
「お見舞いに、毎日来てよ」と、散々言っていた。
普段は口数が少なくて、
どちらかといえば身内に素っ気ないタイプだから、
義兄には悪いけど、家族みんなで、大笑いしてしまった(笑)

部分麻酔での手術で、予定では1週間の入院。
術後の経過が良ければ、もう少し早く退院するかもしれない。

それでも、入院・手術となると、不安だと思う。

入院した今夜は、ひとり病室のベッドで、
症状についてとか、
術後の脚のことだとか、
人生についてとか、
生き方についてとか、
家族についてだとか、
たぶん、
あれこれ考えたりしてると思う。
病室のベッドの上、というところは、
そんな風にさせちゃう場所だと思う。

あたしも、再手術で入院した先で、そうだった。

入院した初日の夜は、
緊張で寝られない、ではなかったけど、
なかなか寝付けなかった。
ぼんやり、
窓の外の眠らない街の明かりをを眺めたり、
真っ白な天井を何時間もみつめていた。
そして、あたしの今までの人生のことを、
あたしの場合は、片側顔面痙攣について、
どうにもならないことどもを、思うでもなく思い直したりしていた。

でも。
この経験は、あたしにとっては、
貴重な体験だったと思ってる。
義兄の今、のことを思うだけで、切ない。
病室のベッドは、楽しくない。
孤独だし、いろいろ、辛い。
でも、それがあったからこそ、
義兄のことを思いやることが、出来る。
それも、たぶん、深く、思いやることが出来ていると思う。
たぶん、妻であるあたしの姉よりも(苦笑)

想像できるということは、一度学んでおかなきゃ
出来ないことが、多いと思う。
理解もなかなか実感として、出来ないだろうし。

入院することの苦しみ。
入院しているときの寂しさ。
手術前の緊迫した気持ち。
退院後への様々な不安。
もちろん、手術の成功や、退院の喜びもあるけれども、
負の大きさは計り知れない。
それを、あたしは想像出来る。

術後の様子を、付き添う姉からの連絡を待ち、
頃合いを見て、
義兄のお見舞いへ行こうと思う。
すごく大きな規模の病院らしい。
行ったことのない病院。

義兄は、家族だ。
でも、人生の中で、
頭蓋骨に穴を開ける手術を2回もしてる、あたしにとっては、
ぜんぜん見ず知らずの入院患者さんの、
どなたもが、
家族のような気持ちになる。
勝手な、あたしの妄想だけども。
でもやっぱり、そう思う。

入院・手術をされる、どなたもが、
万事すべてうまくいかれますように。
そう願う。

義兄も、主治医の先生にすべてを任せて、
首尾よく完治しますように!

「お見舞いに来てくれる前には、
必ず電話して。
欲しいもの、言うからー」と義兄。

そのくらいの気構えがいいね、おにいちゃん(笑)
頑張れ、義兄☆


あーでも、病院。
病室。
全自動のベッド。
そして、たくさんの器具や点滴。
なんか、いろんな感情がフラッシュバックするだろうなあ(失笑)




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2018-01-07 : よしなし雑記 : コメント : 0 :

元日の出来事

2018年1月1日の夕暮れのこと。

昨日が2017年最終日であっても、
今日が新年元日であっても、
愛犬の散歩は、ずっと地続きなわけで。
当然、行く。
「お正月だからもう行かなくてもイイよ」などと
愛犬が言うワケもないから、おかまいなし(苦笑)

冷たい風に震えながら歩いていると、
後方から救急車と消防車とパトカーが抜き去って行った。
何事かと吃驚していたら、
目前にあった、そこそこ規模の宿泊施設に横づけしていた。

家族とハラハラしながら、
横目にその真横を通りすがったとき、
警察の人だったか、
無線のやりとりで「〇歳男性。〇〇場所にて心肺停止状態」
などという声が、断片的にモレ聞こえた。

1月1日に、大変なことになってしまわれた男性客がいたらしい。
あたし達は、全くの通りすがりのニンゲンなれども心配した。
そして、家族がぽつっと、
「救急隊員の皆さんも、
たぶん、受け入れる病院の皆さんも、
元日関係なしで、たいへんなお仕事だよね…」と言った。
あたしも、同感。
ものすごく同感した。

あたしは、咄嗟に、
再手術でお世話になった、病院の主治医の顔や
看護師さんたちのことを、思った。
皆さん本当にご苦労様だと、思った。
入院した先も、緊急指定受入病院だったから、
もうそれこそ四六時中救急車の出入りがあった。
だから、入院時、
医師や看護師さんたちの毎日は、
祝日も平日も、お正月も何も関係ないだろうな、といつも思っていた。
その任務の重さに、頭が下がる。

見知らぬ、緊急患者になってしまわれた男性、
どうか回復されるように、とドキドキしながら、
その場を行き過ぎた。
病院の関係者の皆さんの、ご苦労にも
平身低頭しながら。

今年も始まった。
新しい毎日が始まる。

穏やかに暮らせますように。




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2018-01-02 : よしなし雑記 : コメント : 0 :
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2013年10月、片側顔面痙攣で開頭手術を受けました。煩わしかった痙攣から解放された☆と思いきや、術後約1年数ヵ月後、また魔の痙攣が始まりました…
この症状について、さらには病というモノなどについて、さらにさらにはいろいろよしなにごとを書き綴りたいと思います。

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