思いは、それぞれ。

パソコン使用する家族のひとりが、
このブログを「もうよしたら」と言ってきた。
その言い方はホントにぽつり、と。

家族は私に、片側顔面痙攣の痙攣の具合だとか、
頻度の差だとか、そういう症状についてのことを、
もう、ほとんど、聞いて来なくなった。

再発してるのは、確実な現実だし、
再発して一番ツラいのは私だろうし、と思ってるからだろうと、思う。
でも、たぶん、ツラさの度合いからいうと、
家族の方が、実はツライ度強し、な気がする。

「再発をして、さぞ本人はツライだろうな…」と思う、思いは、重い。

相手を思う1個のツラサに、もひとつプラス、
自分自身のツラいが加わってるんだもん。
その、思いやる気持ちが、強ければ強いほど、ツラいと思う。
プラス1個や2個以上かもしれない。
まあ、そう思うことの出来る、家族に囲まれてる私は、
まあ、ね。
まあね、うん。
とっても、果報者だと思ってます。

だから、ぐるぐるコボしているこのブログのことを、
見ると、家族はあんまり、ハッピーにはならないでしょう。
だったら、見なきゃいいのに(笑)見る。ときどき、見る。
ま、それも、愛なんだと思う(笑)

思いは、それぞれ。
たとえそれが家族であっても、近親者であっても。
友達であっても、恋人であっても、誰でもみんな。
思いは、それぞれ。

ぐるぐるぐるした感情を、ぼーぼー流して、
文字に打ち込んで書き散らかしてゆくことは、
自分でも、思っていた以上に、気が晴れる。
ヒトに言うより、聞いてもらうより、
自己完結し切っているからだと思う。
誰も介在しないこの自由さ。

思うことは、それぞれ。
だから、これは、気ままに、気まぐれに、書き続ける。
書き続けるのだ。

なんか、悪いね、見たら、ごめん(笑)




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2016-01-31 : 片側顔面痙攣のこと : コメント : 0 :

高齢化に思ってみること。

ド級・高齢の近親者が、大怪我をした。

よくある、というか。
よく世間できく感じの出来事。
散歩の途中で、つまづいて、どおーん!
前のめりになって、両手をつくことなく、
顔面から地面に落ちた、のだという。

幸いなことに、家族がたまたま同行していたのと、
近くにいた男性が、たいへんご親切なことに(感謝!)
手助けと、救急車の手配をして下さったと。

しこたま打ち付けた顔面は、片側が切れ、
かなり流血したらしかった。
搬送先の病院で、6針縫ったという結果になった。

健康のために歩く。
それが、高齢になり、
足元が不安定になったために、こんなことになった。
何か、悲しい感じがした。
もはや、ただ散歩するだけでも、危険なことになってしまった。

身内たちも、口をそろえて、
「もうひとりじゃ外出は、ダメだね」
そのとおりだと思う。

のは、周辺だけで、とうの本人は、これがまた。
高齢を認めていないのだ。
認めたくない、という意地ではなくて、
本気で、認めていないのだ。
年寄り。
高齢者。
ご老人。
そういうモノと自分は「違う」と、本気で思ってるフシがある。

「地面が凍て付いていたからな。
すべったんだな」とか、
「寒くて動きが鈍ったんだ」とか言っていた。

大きく、腫れに腫れて、青く滲んだ顔面と、
ドデカい絆創膏を貼り付けた、それで、
そんなことばかり言っていた。

ふと。
亡くなった、母方の祖母のことを思い出した。

祖母も散歩が大好きで、ひとりでよく歩いていたけど、
足元がもう危ないから、と、
親族が”手押し車”を贈ったら、
「アタシはそんな年寄りじゃない!
恥ずかしくてそんなもの、使えるもんか!」と
烈火のごとく、反発していた。
のを、思い出した。


順序良くきちんと、前へならえ、して、
きちんと”年寄り”を、受け入れてゆくタイプと、
並んだ列からどわーっとはみ出て、
だっと「おれは高齢者なんかじゃねえ!」と、受け入れを
避けようとするタイプと、いったいどこが違うんだろう?
いったいどこら辺りから、その分かれ目が出来るんだろう???
じゅうぶん、元来の性格が、大きくかかわってはいるだろうけれども、
それでも。
不思議だー

高齢の近親者の様子を見ていると、
座っているときは比較的シャキッ!と見えていても、
歩き出すと、てきめん”年寄り”になる。
歩き方が、若者のそれと、別物だ。
足が動いていない。
ほとんど持ち上がっていなくて、ほとんどすり足。
背中はそれに伴い、丸くなって、前かがみ。
あるいは、姿勢のよいひとは、妙に後ろに重心があったりして。
とにかく、全体的に、動けていない。
だから、ほんのちょっとした段差にも、つまづく。
これ、道理。

自分もああなる。
自分もこうなる。
そう思う。
これも、道理。
いづれ自分も歩む道すじだ。

でも、そのとき、きっと、自覚していよう。
そう思うようにしてる。
高齢というものを、自覚していようと、思う。

受け入れることは、難しい。
ときどき、本当にやっかいだと思う。
拒絶することは簡単だし、また、
近親者のように、はなから考えていないことも、簡単だ。
そうならないでいよう、と思ってる。

高齢になることに、何かメリットはあるのかな。
そのことも、ふと思いがよぎった。
ら、私にはひとつだけあった。

片側顔面痙攣、だけど、
もう若者じゃないから、周囲からの見た目を
気にしなくなりつつあること。
そこは、高齢化の、利点だなと(苦笑)

私は割りと、目がぱっちりしていて、
なかなか印象的(笑)
若いときは、ちょっとご自慢で(笑)
さらにいっそう大きく見せようと、
アイメークはバッチリ、頑張っていた。
「目が大きいね~」と言われると、
いやあそれほどでも~なんて言いながら、
「うんうん☆そうでショ」と思って。
アイメークのテクニックも上々なものだった。

でも、今はもうほとんど、しない。
おざなりに、パパッとササッと。
何せ、コンタクトレンズ使用を捨てて、
完全眼鏡ライフに切り替えた。
眼鏡だと、痙攣が分かりにくいから。それに決めた。

もう、若者じゃなくて良かった(苦笑)
これだけが、私の、高齢化の利点。

でも、やっぱり総体的に、
高齢化に、何かいいことあるのかな。
何だかなあ、ばっかりだと、
何だかなあ、ちょっと未来は暗いなあ(苦笑)



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2016-01-28 : 片側顔面痙攣のこと : コメント : 0 :

健康が最大のシアワセ、と。

勤め先の休憩室にあった、女性雑誌を、ぱらりぱらり。

見るでもなく、眺めていたら、ふと。
経済評論家の有名な女性が、こう言っていた。

「健康でないと、幸福な気持ちは満たされないそうです。
それほど、健康というものは、重要なのです」


ウロ覚えだけど、意味合いとしてはこんな感じだった。
どれだけハタ目には、充実した環境であってたとしても、
健康でなければ、気分がついてこない。どこか、満たされない。

この言葉と、この情報に、善悪は求めない。
ただ、この文言を読んだとき、
「そりゃそうだよなあ」と、思った私がいる。

小指でも骨折をして、数日の間、
包帯を巻いているだけでも、うっとおしいだろうし、
ものもらいでも出来て、眼帯を2~3日装着するだけでも、煩わしいし。
口内炎があるだけでも、気落ちする。
あつあつのホットコーヒーなんて、痛くて飲めない。
たったこれだけでも、ため息が出ちゃう。

だとすれば、だ。

だとすれば、この片側顔面痙攣の、
この再発のこのピクピク、痙攣が、
この先一生続き続けるのだ、と思うと、気が滅入る。
私は、ある意味、有難いことに平凡に健康だけど、
ある意味、一般より不健康だ。
だから、経済学者のいう”満たされない”思いは、バッチリ。
当てはまっている。

卒倒しそうになるほど、気分が優れない分けではないけど、
大声で何かを怒鳴ってやりたくなるような、イライラは、すごくある。
すごく、いつも、ある。
だから、十分、不健康だと思う。

だましだまし、どこまで行けるか。
それを最近、しょっちゅう、思ってる。

寒いから風邪を引く。
冷えるから体調が優れない。
そうじゃないとこに理由があると、
なかなかどうして、に、つらいよなあと思ってる。

健康が最大の幸せ。
ほんと。
そりゃそうだ。




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2016-01-20 : 片側顔面痙攣のこと : コメント : 3 :

アリとキリギリスと更年期障害。

最近。
年上の友達たちが「ぼちぼち更年期かも」と、
言い出している。

で。
興味深いことに”穏やかでのんびりタイプ”の友達が、
体調不良の疲れからだろうけれど、
ずいぶん”うつうつ”とした感じのことを、言うようになった。

それにひきかえ?
「自分って本当にキリギリスなんだなあって思った」

と。
そう言う、割りと、鉄火で短気なタイプの友達が、
更年期障害の始まりを、何ともなく、悠然と見つめている。
「更年期だと思えばそうだろうけど、
そうじゃないよなって思えば、違う気がする」と、
障害らしきものを、スルーしてた(笑)

この友達は、仕事の合間に遊びが、すごい。
フットワークが軽くて、遊びにひょいひょい乗ってゆく。
キリギリスだから、キリギリスらしく、
「時間の余裕も、豊かな資金も持ち合わせ無し(笑)」と言っている。

私は、堅実なアリでもなければ、
自由気ままなキリギリスでもなく、中間どころで、アリギリス(苦笑)かな。

いつかは私も、引き受けねば、の、更年期障害。
そういうときが、来ると思う。
親しい年上の友達たちがいることは、幸いだ。
勉強になる。
知恵がつく。
推測が浮かぶ。
理解が出来る。


てーか。

片側顔面痙攣に比べりゃ、更年期障害なんて何さ!だ。
何かピル飲んだり、軽かったら、運動したり、
気分転換したりで、受け流したり出来ちゃう人が大勢いるじゃないの。
どうとでもなるじゃん!と、すごく、思う。
ものすごく、そう思う。

って。
私、かなり精神最強かもしれない(笑)
顔面ピクピクしながら、受け入れたり受け流したり。
諸行無常感への理解力は、相当ハイレベルだろうと思う。

いっときで消え去る更年期障害なんて、何さ!
それがもし数年かかったとしたって、それが何なのさ!
治るじゃん、治まるじゃん!

・・・
アリギリスは、逆切れ体質?
いや、そりゃ私だけだな(笑)

コーヒーでも、のらくら飲みながら、
アリギリスで、やってゆこうと思ってる。



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2016-01-18 : よしなし雑記 : コメント : 0 :

手術の効果とは。

片側顔面痙攣で、日々痙攣している顔面、右側。

開頭手術の前は、口元を尖らせると、
百発百中、痙攣が出ていた。
それは、蕎麦とかうどんとかすすりあげるときでも、そう。
歯磨きをするだけでも、そう。
とにかく、口を尖らせたら、ピクピクピクッ。

すごく煩わしかった。

でも。
手術をして、いったん、1年と3ヶ月間だけは、
痙攣がほとんど治まって、穏やかなときを、体感できた。

で、再発している今。
口を尖らせても、痙攣は、出ない。
耳鳴りはするけど、痙攣は、ない。

ではどうなったのか。
冷静に思索してみると、痙攣は、基本的に、
口の動きには付随しないで、不随意に出ている。
しかしながらその、痙攣が出ているときに、くちを尖らせると
(食事をしたり、飲み物を飲んだり、歯磨きをしたり等)
右目がぎゅうぎゅう閉じてしまうほど、ピクつく。

暮らしの中で、ほんの隙間の時間だけ、
ほんのほんのごくごくわずかなときだけ、
痙攣がまったく出ていないときがある。
そのときなら、とにかく、
口元をどれだけ、どんな形にしても、痙攣は、出ない。

ということだけは、手術をした”効果”なんだろうなと、思う。
ただ、それだけ。
手術して、ただそれだけが得られた、だけだ。
ほんとに、がっかり。

おまけに。
手術前のピクピクより、
痙攣の規模が酷くなったと思う。
ピクピク、ではなく、ビクビク
強い強い濁音の痙攣になった。
音だけじゃあない。
その強度自体、パワーアップしてると思う。
ギャギャギャギャギャっと強く、痙攣するし、
グワグワグワグワッときつく、顔が、揺れて歪む。

そして。
右目の上側に、いつもマスキングテープみたいなのが
張り付いている感じがしてる。
まぶたが閉じられないわけではないけど、
何かぺたっと薄いモノが張り付いている。
引きつっているような、
とにかく、薄っすら、うっとおしい感じ。
ほんとはシワシワなところを、
無理やりテープか何かで、引っ張り上げているような。
本当に、煩わしい。
強制してそういう形態を保っている感じが、違和感につながってる。
本当に、ほんとうに、煩わしい。

手術した効果は、妙な煩わしさと違和感と、
極度の痙攣が、置き土産。
ほんの少しだけの間の、静寂と引き換えにしたものたちが、これ。
まったくもう、としか、言いようがない。

青空を見ても、もう心底晴れやかな気持ちにならないけど、
曇天を見ても、同じなら、
なら、青空見るほうがマシだな。

なんて、くだらんことを、思ったりする。



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2016-01-14 : 片側顔面痙攣のこと : コメント : 0 :

時間の流れに思うこと。

2016年になって、はやくも4日過ぎた。

早い早い。
早すぎるー

大晦日からこの年明けの今日まで、何をした???
いやあもう。なんにもしてない。
時間の流れが、あまりにも、あまりにも性急過ぎて気づかないのかも。
あるいは、逆に、
ゆるやか過ぎて気がつかない感じなのかな。

とにかく、時間が、私の預かり知らぬま間に過ぎてる。
勝手にいくな(苦笑)


片側顔面痙攣の手術をしたのが、2013年の10月。
再発をしっかと、自覚・実感したのが、
2015年の1月。
それから、あっけなく時間が流れ、こんにち。
ジャスト、再発から、1年が経った。

早いなあ。
本当に、早い。

2016年1月の今。
何となく、気が重い。

来年・2017年の1月の、その頃には、
”再発を実感して2年がはや過ぎた”と、言ってる。と思う。
早くも来年の今の自分を、完全に想像出来る。
気が重いなあ。ほんとに。
だって、よくなるわけないんだもん。
改善されるわけないんだから。

今年の今の、いま、うんざりしているこの痙攣と耳鳴りが、
2016年の幕開けからずっとずっと、
地続きで来年の2017年に、続いている。
そうしてそれは、未来永劫、続くんだよなあ、と。
私の生きている限り、これは、地続き。

はあ…


お正月飾り。
こちらよそのお宅の玄関の。
ちょっと旧家のたたずまいのお宅だった。
和の美。
しみじみと美しい。

最近めっきり、こういった正統派・正月飾りは
見かけなくなった。
街中でだって、飾りをほとんど見なくなった。
でも、きっと、このおうちは、
来年も、再来年もきっとずっと、飾りつけをすると、思う。
時間が止まったかのように、来年の飾りつけも、再来年の
飾りつけも、きっとずっと同じだろうと、思う。

即効で動いているものと、止まっているものって、
もしかしたらちょっと、似てるのかもしれないな。

私の、片側顔面痙攣の再発は、治癒から遠くで、止まったままになった。
未来永劫、これにて、と、止まったまんまになった。
それがいやなら。
それをどうにか消し去りたいなら、また手術に挑む他ない。
でもまた、手術をしたって、再発するかも。
再発の時間は、永遠に続いて、流れているのかもしれない。
せき止められないんなら、やっても意味なし。

痙攣のループの輪の中で、時間のことを思ったりする。
時間の流れのことを、思ってみたりする。


門松は 冥途の旅の一里塚
  めでたくもありめでたくもなし


一休さんに会いたい。



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2016-01-04 : 片側顔面痙攣のこと : コメント : 0 :
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2013年10月、片側顔面痙攣で開頭手術を受けました。煩わしかった痙攣から解放された☆と思いきや、術後約1年数ヵ月後、また魔の痙攣が始まりました…
この症状について、さらには病というモノなどについて、さらにさらにはいろいろよしなにごとを書き綴りたいと思います。

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