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片側顔面痙攣・術後:逃げ出したいときも、ある。

耳鳴りが、途絶えない。

最近、ますます、確固たる”音”をもって、
耳鳴りが、その存在を、私に強く示している。示してくる。

片側顔面痙攣の、開頭手術の執刀医には、
この耳鳴りのことを説明しても、
「原因が分からない」というばかり。
脳神経外科の、この片側顔面痙攣での
手術セオリーから、どうやら大きく外れているらしい。

顔面の痙攣も、引き続き存在。

もはや、経過観察をして、推移を見守る、ということは
イコール再発の確認をすること、のように、思う。
手術後の、治癒までの道のりのいっかんとして、
ときに痙攣が発生する場合もある。
そんな、痙攣消滅までの、痙攣再発とは、違うと、思う。
治癒への道のりではない、この感じ。
治癒とはかけ離れた、再発への、道のりだと、感じている。

すがるような、とまでは言わないけれど、
どこかに私と似た経緯のひとがいるかもしれない、と、
気まぐれにネット検索をしてみる。
でも、やっぱり、いない。
ほとんどのひとが、治っている。
術後すぐ、や、数ヵ月後程度までは、
痙攣が出ている、という文面を見るけれど、
それでも、その数ヵ月後には「治りました」になっている。
そうして、ブログ記事も、更新が、それっきり。

本当に、完治されたんだな。

そう、思う。
そう思うことを、何度も、わざわざ確認するために、
ネット検索をしている気がして、ときどき、すごく、空しい。

知人が、昔、ペルーへ旅行したときのことを、ふと思い出す。

天空の街、マチュピチュへ行きたい。
そう言って出かけたけれど、高山病になってしまった。
でも、マチュピチュの町自体が、標高の高い場所にあるので、
ホテルへ戻って、いくらベッドで横になっても、
吐き気や頭痛は治まらなかった、という。
もっと標高の低い場所へ行かなければ、治らないのだと。
「逃げ場がなくて、困った」
そう、言っていたことを思い出す。

私の、この片側顔面痙攣の、痙攣も、同じようなものだ。
逃げ場がない。
どん詰まり。

手術をして、治して貰うのだ、という願いで受けた、手術。
治る、治して貰うという、希望だけがそこにあった。

それが、今、これ。
”再発”

今度、いつか、また、2度目の開頭手術を希望したとして。
そのとき、手術に立ち向かいながらも、
きっとココロのどこかで、暗闇を持つと思う。
「どうせ、また治らないかもしれないんだよね」と。

手術をしたら、この片側顔面痙攣は、
≪ほとんどの人が 完治します≫と、たいがいのブログ記事で
執刀をした医師は、そう説明している。
治るまでの、時間差が、個人差による、ということを言うばかりで。
≪ほとんどの人が 治ります≫と。
だから【再発も ほとんど ありません】

そりゃそうでしょうとも。
手術で”治る”んだから、再発なんて言葉自体、無意味なわけで。

だけども、治らなかった患者も、ここにいる。
やることを決意も何もしていない、
2度目の手術のことを夢想して
「どうせ治らない」と、落胆している。
それでも、手術を受けることを、
私はいつか、選択するんだろうか。
そのときは、また同じ病院で、同じ執刀医でするのだろうか。
他の症例の患者のみなさんは、どうなんだろう。
再発、となった患者のみなさんは、どうなんだろう。
また同じ医師に、執刀を受けるのだろうか。
治るかもしれない、という、ほんの少しの希望の光を、
どこか違う病院を探し、誰か別の医師に、
希望のそれを託すのだろうか。

逃げ出したいときも、ある。
耳鳴りと痙攣は、それでも、どこまでも、
逃げたって、逃げ出したって、逃げ切れない。
ついて来る。
ついて回る。


逃避出来る唯一の先は、夢の中。
最近、無意味にうたた寝ばかり、している気がする。



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2015-06-23 : 片側顔面痙攣のこと : コメント : 0 :

片側顔面痙攣術後・MRI撮影する5

片側顔面痙攣の手術&入院をしたのは、2013年10月のこと。

1年と8ヶ月前。
1年と8ヵ月後、再訪した病院。

入院病棟へは、行っていない。
脳神経外科の外来診察を受けた、外来病棟は、
ところどころ手入れをされていて、
お手洗いなどが最新風設備に変わっていた。
1年と8ヶ月の間に、いろんなことが、少しずつ、変わっているん
だと思う。

悲しまないで、パパママ、と思いながら、
どうもありがとう、と看護師さんのことを思いながら、
帰宅の電車に乗った。

いつもの駅。
いつもの電車。

変わらない景色も、ある。
ただそこを通り過ぎるときの自分は、一瞬たりとも同じではない。
今のワタシは、今起きている自分自身の内側の問題を、
出来るだけ穏やかに受け入れようと、努力をし始め出したところ。
完璧なものなどどこにもなく、
完璧なことなど手に入らないこと。

引き受けること。

この、私の片側顔面痙攣の症状は、
もしかしたら、永遠の付き合いかもしれない。
この症例と付き合うすべを、もっと、じっくり考えよう。

いやだいやだいやだいやだいやだいやだと、思うと、泣けてくる。
いろんなことが、もうどうでもよくなってしまう。
治りたかったのだと。
私はこの痙攣を消し去り、治りたかったのだと、
ものすごくものすごくものすごく強く、その方向に思いを寄せると、
いくらでも、寄せることが出来てしまう。
落胆の絶叫で、いくらでも凶暴な涙を流すことが出来てしまう。
それはよくない。
ときとして、よいときもあるかもしれないけど、
今の私には、あんまり、よくない。

もっともっともっと、事情が酷くなったとき。
そういうとき用に、最悪の気持ちは、とっておこうと思う。

前向きではなくて、
ちょっと斜め前向き。


そんな感じで、ゆこうと思う。

自宅へ戻るとちゅうに、出会った花。
ひょろひょろした茎や葉。
だけど、きれいに咲いてる、と思った。
きれいだなと思う気持ちがある。
だからたぶん、まだイケるワタシがあると思う。



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2015-06-17 : 片側顔面痙攣のこと : コメント : 0 :

閑話休題:病を知って思うこと

元来の性格というか、気性というか。
そういうことが、まぁ左右するんだろうなぁと思いつつも。

数ヶ月ほど前だったか。
そこそこ有名な女優が第三子妊娠した、という
公式発表のときのこと。

「私も親になって、初めて人間にさせて頂いたと思っています」

これをネットニュースで見たとき、
「ああ。ひとの性質が上等じゃあない人なんだな」と、率直に思った。
と同時に「何の”病”も”症例”も、体験したことのない人なんだろうな」
とも、思った。

3年半程で3人も出産しているという、この女優さん。
だからもちろん、不妊に悩んだことなど皆無で間違いない。
不妊に悩んで、辛い思いをして、お子ちゃんを授かった女優さんや、
タレントさんだったら、妊娠報告のときに、
こんな台詞なんて、絶対浮かばないに決まってる。
なぜなら、悩んだ人間として、
「世間には不妊に大変な思いでいる人が、たくさんいる」ということを、
知っているから。

ここで、ひととしての品性の上品さが、出ると思う。
自分だけ”イチ抜けた!”で、完全忘却する、薄情な性質の人もいるだろうから、
そんなこんなな、実体験を、どう自分の中で、消化出来るか。
それを、どう持ち続けるか。
そこが、ひととしての品性の上品さに、出ると思う。

(本物の上品なひとは、
 実体験無しにでも、配慮のあるひとのことをいう)

子どもを産まなかったら、人間ではない。
とも解釈出来るような、こんな発言を、
喜びに溢れて口にする、この女優さんは、本当に下品だと思う。
その奥には、
じゃあ、人間を産みだせる環境の、
”結婚”をしていなきゃ、人間じゃないの?
独身だと人間でない?
未婚での出産は?人間にカウントしてもOK?
産んでるから、いいのかな?人間ですか?
なーんてことも、意地悪く、浮かぶ。

見た目が美しいのが、すべてじゃあない。
ほんと、そのいい実例だ。


何もネットニュースの中だけでは、ない。

私の、勤め先の会社でも「あ。このひとは、上品ではなかったんだ」と
思った人がいる。

平素とても朗らかで、明るく、愉快で、いつだって元気ハツラツ。
社内の誰とも打ち解けていて、私もいつもニコニコ話をしている人だ。

その人が、冬場からこの春先にかけて、
社内に猛威をふるった、風邪にヤラれて、
次々順番で、会社を病欠する同僚たちについて、こう言った。

「私、病気の人って大嫌いなんですよね~」

えっ
なんて今なんて???
想像したことの無いワードだったので、思わず聞き返すと、再度。

「病気の人って、嫌いなんですよ。
体が弱いってことでしょ?
丈夫じゃないんですもんね。
丈夫な人がいいですよねー
それに。
病気になるのって、精神がたるんでるからですよね。
しゃきっとしてたら、病気になんか、ならないですもん」

誰だって、好き好んで、病気になんか、ならないと思うけど。。。
そういう発想をする人が、世の中にはいるんだなぁ!と思って、
しみじみ、感慨深く感じた場面だった。

病気の人が嫌い。

何だか、私の中で、彼女のその朗らかさが、逆に
ものすごく、居心地の悪い感じにすり替わった瞬間でも、あった。
もとから底意地の悪い感じだったら、
むしろ「あなたのソレだから、ま、でしょうな」で終われたと思うけど。

きっと、彼女の周囲では、誰も大きな病気をしていないんだろう。
こういう場合、例えば、祖父母やら両親が
年老いて出た症例などは、除外。
高齢になって、骨粗しょう症で骨折、だとか、
高齢になって、筋力の低下に伴い、歩行中転倒、だとか。
さらには、も少し深刻に、
高齢になって、心筋梗塞とか脳溢血とか。
そういう、とにかく、加齢のせいで自然発生的なことは、除外。

ふいうち。
そう。
ふいうちの、症例。
たとえば、私のように。
じわりじわりと、長い長い時間、私の脳内に潜伏していて(苦笑)
ある日から、ふっと表面化した、片側顔面痙攣
なりたくて、なった分けじゃあない。

この春、がんで、
50歳という若さで旅立たれた、女優でモデルの雅子氏。
たいへん特殊な、10万人に1人のがんだったそうです。
癌も、がん、と、ひとくくりに言えないと思う。
世にもまれな癌で、治癒の困難な症例もあるし、
治療で完治出来る癌だって、ある。

父の知り合い男性で、
10万人に3人、という、なんとかいう特殊な癌になった人がいた。
治療法も特殊で、その治療・手術をしても、
3人に1人の割合程度での、成功だったという。
その人は、成功1人に入った。
「いろんな人に感謝して、今、生きてる」と言っていると、いう。
今、町内の雑務を、ものすごくしてくれているらしい(微笑)
町内会運営役員の父は、とても感謝していた(笑)

誰だって、病になんか、なりたくてなってる分け無い。

でも、だからといって、会社同僚のように、
元気そのもの、健康バリバリ!が、良いとも、思わない。
ほどほどの、病程度(苦笑)
ほどほどの、病は、穏やかな分量で、体験している。
あるいは、親しい間柄で、身内で、見聞きしている。
そんなくらいが、いちばん、良い。

※ただ。
  会社上司女性で、小さな手術を幾たびも体験をして、
  すべて完治で来ているひとがいて、
  その人物は、これまた「私が治ったのだから、
  治らない分けが無い」的思考の激高な人がいる。
  よくよく考えれば、こーゆーのが、一番煩わしいかもしれない。


【若いうちの苦労は 買ってでも しろ】

これはぜんぜん同意しない。
若いうちは、ひらひらふわふわ。
気ままにしているのが、一番、素直。
どのみち、いつか、苦労の方から、勝手に寄って来るんだから(←現実&真実)

けど、ちょっとくらいの苦労は、中年になったら、
ちょっとくらい、買ってしててもいい。
苦労、だけじゃなく、病も、
少し程度は、ヤッておくのがいい。
嫌だけど。
でも。
嫌だけれども、少しだけ、ヤッておいたら、
ひとに優しく思いやることが出来る気がする。
少しだけ、ひとに穏やかに接することが出来る気がする。
それを「人生が豊かになった」と、思える。
ような、人に、なれたらいい。
 


 
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2015-06-15 : よしなし雑記 : コメント : 0 :

片側顔面痙攣術後・MRI撮影する4

病院から歩いて15分程度の場所にある、
実家へ立ち寄って、両親といっしょにお茶をした。

何が悲しいというと、両親が私以上に落ち込んでいる。
そんな姿を見ることこそが、最大に悲しいことだ。

「せっかくあんな。
頭蓋骨に穴まで開けて、辛い思い、うんとしたのに…」
辛い思いをうんとしたのに、完治出来なかったなんて、ということ。
それが一番、両親を落ち込ませている。
それと同時に、1万人に1人という症例を持った子に産んでしまった。
「ごめんなさい」と、母が悲しそうに言う。
「ほんとうにごめんね」と、母が何度も言う。
それが私にとって、最大に辛い。
どうか、どうか両親には、気にしないでいて欲しい。


医師との面談を終えて、退席するとき。
「あなたの今後がとても気になります。
ものすごく、気にしています。
だから数ヵ月後、また診察に来て下さい」と執刀医が言われた。
でも、よほど重篤な痙攣に悪化しない限り、再訪はしない。
そう言ってから、言い直した。
「やっぱり。
数ヵ月後再訪するかもしれませんし、1年後かもしれませんし、
数年後かもしれません。
でも、もし、幸いなことに、数年後にででも、
完治した!と思っても、先生にご報告に伺います」と。

せっかくのレアケース患者例。
先生の治療例のひとつに、使って貰えたら。
こんな特殊な事例もあったな、という、例に。
そう言うと、医師も横にいる看護師さんも、笑ってくれた。

会計表を看護師さんから受け取るとき、
看護師さんが。
「患者さんの皆さんが、あなたのように前向きではないです。
あなたも、今のようなお気持ちになられるまで、
ずいぶん苦難なさったと思います」
そう、ねぎらって、静かに、私のために、微笑んで下さった。
この看護師さんは、外来診察の看護師さんで、
1年8ヶ月前の手術のときに出会って、以後、覚えていてくれた方。

あのとき、最後の術後経過観察での診察のとき、
「晴れ晴れとしたお顔なさっていて。
私もとっても嬉しい」と、施術の成功をたいへん喜んで下さった。
なので、とても気を遣って頂いた。

本当に、どうもありがとうございます。



つづく。



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2015-06-08 : 片側顔面痙攣のこと : コメント : 0 :

片側顔面痙攣術後・術後MRI撮影する3

「先生。
失礼な言い方かもしれませんが。
ワタシ程度の微弱な痙攣の復活では、
手術前に比べりゃ断然楽だから、もういい、と思って、
再診察に来ていない患者さんも、いるかもしれないですよね。
手術が失敗だったか、成功だったか、思ったかどうかは別問題で」
そう言ってみたら、医師は「なるほど。それはそうかも」と、
妙な感心をされた。
あるいは、もしかしたら、別の病院の医師へ
相談に行った人もいるかもしれないですよね。
と、これは言わないでおいたけど(患者マナー:笑)

「痙攣は確かに微弱に見受けられます。
でも、とにかくまだ、経過観察しましょう。
これがもし。
もしも、数ヵ月後、数年後、もしも、酷くなるようだったら、
それはそのときまた話し合いましょう。
日常生活に支障が出るかもしれない。
あるいは、言葉はいけないかもしれないけれども、
精神的に疲弊してしまうかもしれない。
そのときは医師として、再手術を勧めるかもしれない。

でも、何度も言いますが、こればかりは、
患者さん側の、お気持ちの問題なのです。
ものすごく痙攣が酷くて、日常生活にも支障が、と
思われるような方でも、いやいや手術は怖いからしません。
そう言われる方もいます。
それほどでも無いと思うような方でも、
とにかくこんな痙攣から開放されたいから、と
手術を希望される方もいます。
それは、こちら側の判断ではないのです。
何度も言いますが、命に関わることではないので、
すべては患者さん側の気持ち次第なのです」

そして、こうも言われた。

「お気持ちは分かります。お察しします。
さぞ気落ちもされたでしょうし、今も痙攣が
さぞ煩わしいとお思いでしょう。
でも。
だけれども、それだけに囚われて暮らさないように。
痙攣だけに、すべて囚われて暮らさないようになさって下さい」

気持ちの落としどころを、どこに置くのか。
これがワタシの、今後の課題だと、思う。


つづく。



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2015-06-07 : 片側顔面痙攣のこと : コメント : 0 :

片側顔面痙攣・術後MRI撮影する2

術後の経過を画像でも診てみたい、と執刀医に言われていたので、
MRI撮影をした。
テレビなどで見るようなほど、微細な箇所までは
映り込まないものではあるけれども、
画像診断する限り”特段異常なし”

「今出て来た痙攣は、収束へ向かう途中の、出来事かもしれません。
だから、今回の手術がどうだったのかと、結論づけることは、早い。
でも、もしかしたら違う原因があるかもしれない。
脳幹近くの、くも膜が加齢に伴い、硬化をして、
それが板のように挟まって、血管が押して、触れているのかも、しれない」

くも膜までは、MRI撮影でも、画像に出て来ないらしい。
くも膜は、サランラップやクレラップより、まだ薄いのだという。
それが硬化したかも、でも、こう。
どれだけ体内というものは、繊細なんだ!(驚愕)

「肌が薄い人もいれば、皮の厚い人もいる。
それと似ていて、くも膜も薄い人もいれば、硬い人もいます。
あなたは若いのに、比較的”硬い”人でした。
脳幹の近くで、摺りガラスのようになっていた箇所がありましたから。
(もちろん手術直後の説明で、聞いているので、周知)
でも、それが今、どうなっているのかは、
やはり、開頭をして、中をじかに見るほか、ないのです」

1万人に1人の割合で発症する症例で、
80%程度の人が、頭蓋骨開頭手術で、ほぼ完治する。
ところの、再発。
で、もしまたいつかの手術、となれば、
どれだけワタシは、レアケースなのだろう。

「手術は、いつでも出来ます。
ただし、何度も言いますが、まだ時期尚早だと思います。
確かに痙攣は、確認出来ます。
でも、こう言うのもナンですが、酷くはない。
でも、あなたにしてみれば、さぞ落胆もされるでしょうし、
施術までしてピタリ治らなかったと、気落ちもするでしょう。
手術前より断然、微弱な痙攣なのだから、
気にしないでおりなさい、なんていうことは、言いません。
さぞ、煩わしいことでしょう。
でも。
この症例は、命にまったく別状がないのです。
放置しておいても、ぜんぜん構わないのです。
だから、医者として、前と同じ。
手術をしましょう、するべきです、というようなことは言いません。
でも。
だけれども、あなたの人生なので、
こんな痙攣を完全に消滅させたいと、
強く再手術を希望されるのだったら、いつでもやります」

ただし。

「ただし、2度目になると、痙攣の原因追及は、より難問になります。
開頭をして、ここだと分かった箇所は、原因除去を
施しているので、それ以外の箇所を探すことは、
よりいっそう、繊細なことなので、難問になります」

おまけに、ワタシの”耳鳴り”は、
原因が「分からない」と言われた。
顔面痙攣との因果関係が、そこに分からないと。
もはや神秘としか、言いようが無い。


執刀医と面談をしながら、慌てるでもなく、凹むでもなく、
思っていたよりずっと、気楽に話をすることが、出来た。
これはある意味、自分自身で、思いのほか
片側顔面痙攣のことを、受け入れているのかもな、と
ぼんやり、思った。


つづく。



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2015-06-05 : 片側顔面痙攣のこと : コメント : 0 :

片側顔面痙攣術後・MRI撮影する1

片側顔面痙攣の頭蓋骨開いての手術を、
完治目指して、一大決心をして受けて、1年8ヶ月。

現実に、微弱ながら、顔面痙攣は、再発している。

残念。
ただただ、残念な気持ちを抱えて、病院の脳神経外科を再訪した。

最初に来たときは、ひたすら「治して貰うのだ」という、
全力前向きな思いだけだった。
手術の恐怖も失敗の想像も、そこまで、せず。
のんきなもんだったよなぁ、と思う。

再訪した病院を見上げて、ずいぶん妙な、気持ちが、した。

『痙攣再発』

痙攣が、確かにある。
手術をして1年間程度は、ほとんど感じなかった。
手術経験を忘れられるほどに。
痙攣再発。。。
ただし、手術前より断然、軽度。

このワタシの体験している『片側顔面痙攣』という、病は、
1万人に1人、程の確立だと、ネットのどこかで読んだ。
診察時、執刀医に聞いたら「そうです」との返答。
ああそうなんだと、改めて思った。

1万人に1人。

確立として”多い”とは、もちろん思えない。
1万人って、いったいどんなくらいの人数の塊なんだろう。
1万人に1人。
だけど、ワタシがワタシとして生きている中での出来事だから、
何万人の人口でそれが発症しようとしまいと、
言ってしまえば、あまり関係がない。

数年前までのワタシには、この1万人に1人は”ゼロ”だった。
それが”100”になり、
手術による行為でまた”ゼロ”を目指したけれど、
ゼロには戻ることが出来ず、”20”くらいの、復活をむかえてしまった。
でもそれはやっぱり、もう、”ゼロ”では、ないのだ。
ゼロ治癒は、叶わなかった。
残念。
それは、誰のせいでもなくて。
ただただ、残念。

つづく。



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2015-06-02 : 片側顔面痙攣のこと : コメント : 0 :
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2013年10月、片側顔面痙攣で開頭手術を受けました。煩わしかった痙攣から解放された☆と思いきや、術後約1年数ヵ月後、また魔の痙攣が始まりました…
この症状について、さらには病というモノなどについて、さらにさらにはいろいろよしなにごとを書き綴りたいと思います。

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