FC2ブログ

大坂なおみさん思考

日本人初のグランドスラム優勝!という、
偉業を成し遂げた、
今をときめくプロ・テニスプレイヤー大坂なおみさん☆

素晴らしい試合だった!(感動)ということも、
もちろん記憶すべき出来事だけど、
あたしが記憶すべきことは、ちがう。

ポジティブ思考。

新しいコーチが就任したのは去年の12月だという。
そこからの大坂なおみさんの、大躍進が凄まじい。
コーチ氏がかわっただけで、そこまで!?と、
素人のあたしは、思っちゃう。

報道で言われているのが、
とにかくこのコーチ氏の指導が<ポジティブ思考>推奨ということ。

今一つ首尾よくいかない試合中の大坂選手に、
途中でコーチングするとき、
言葉はこればかりだった。
「大丈夫!君なら出来る!みんなそう分かってるよ!☆」

こればっかりだったら、
ひねくれものなあたしは、
そう言われてもちょっとなぁ…と思うところ。
でも、もしも試合に負けたら罰ゲーム、という
気が楽になりそうなしかけも、取り入れてた。
有る時の試合で負けた、大坂選手は、
罰ゲームで渋谷のあの大混雑する交差点で、
ダンスを踊らさせれる、といった×を受けていた。
とても楽しそうだった。

ボールコントロールがうまく行かないとき、
大坂選手は天を仰ぎ見て、スマイル☆
何かひとりごとを呟いていたけど、
それはきっと「ネバマイン」とか「ドンマイ」
だっただろうと、思う。

〝以前のなおみだったら、
自分を失って残念な結果の試合になっていたと思う〟
そんな風なことを、コーチ氏がインタビューに笑顔で答えてた。

大坂選手は、ものすごく≪完璧主義者≫だという。

完璧なサーブが入らなかったら、イライラしていたそうだし、
完璧なショットが出来なかったら「キィーッ!」とかって、
奇声をあげてた(そういう過去の場面を放送してた)
試合中に泣いたり、
コーチに「もう帰りたい。ゲームをやめたい」なんて
仏頂面で告げているのも、あった。

でも。
気持ちの安定を導いてくれる人に出会って、
彼女は大きく変わった。
アドバイスを貰うことで、すごい転換。

で、あたしは思う。
とってもシンプルに、不思議に思うン。
「そんなに気持ちって変われるものなの???」
だとしたら、あたしも指導を受けたいなあ!って(笑)

あたしは、片側顔面痙攣の再手術をして以降、
症状はまったく出ていない。
「消滅したあ☆!
キャッホー!☆ラリホー!☆
片側顔面痙攣よ、永遠にオサラバだーぁ!☆」


そう叫んで、海に向かって、青春よろしく、
いくらでも笑いながら走っていい(笑)
でも、そこがあたしはネガティブ思考派。

いやいやいや、と。
ここでチョー有頂天になって、
しばらくたってしっぺ返しがあったらどうする、みたいな。
そのときの落ち込みっぷりが、
増大するから、
適当に怯えておく方が、衝撃も低そう、とか。
こんな後ろ向きアイデアでなら、前向き(苦笑)
全身全霊で、克服をハッピーに堪能し切れない。
これぞ、ザ・ネガティブ思考者。

だけど、新コーチ氏のコメントを聞いてて、
ああそうか、と思った。
それは「完璧でなくていいのです」ということ。
うまく行かないときもあるし、体調が良くないときもある。
失敗したら、罰ゲームで憂さ晴らし。
コーチ氏も、大坂選手と一緒に、罰ゲームをしていた。
大嫌いだという納豆を、1カップ食べる、という罰。

大坂選手に指導していることといえば、
とにかく、ポジティブ思考で行こうということ。
それから、完璧でなくてもいいということ。
このふたつだけで、グランドスラムで優勝を勝ち得た。
言ってしまえば、
たったこのふたつ、意識変革をしただけ。

クヨクヨしないで、おおらかにすることって、
これは元来そういう素質を持たないモノにとって、
実は相当ハードルが高いことだと思う。
大坂選手は、その<種>を
コーチ氏に植えて貰って、そして、
彼女自身、お水を撒き、お日さまにあて、
大事に育てた。
だから、大輪の花が咲いた。
努力したと思う。
練習だけでなく、心の変化にも、
すごくすごく努力をしたと思う。

彼女はまだ20歳という若さだから、
心技体すべてが柔軟だと思う。
若いって素晴らしい、イイな!(笑)
でも、
妙齢なあたしでも、見習う、ということなら出来る。
ちょこっとくらい、出来ると思う。

今のあたしに、クヨクヨすることって、何かある?
と、自問してみる。
痙攣症状は消滅してて、両目はぱっちり開いている。
世界はどこも歪むことなく、なんだって、見ることが出来てる。
顔の半分が引き攣ることも無く、勝手に動くことも無い。
今のあたしに、クヨクヨすることって、何かあるの?
答え。
「無い」

症状を発症する前の、
完全に何も、何も何も無かった頃のあたしとは、もう違う。
頭蓋骨に2度も穴を開けたし、傷口も大きく残っている。
傷跡は、凹んでいて、人口骨でも被せない限り、
元には戻らない。

けど、
完璧でないけど、十分満足出来るはず。
いいえ、もっと言うと、
人によっては、少しくらいの痙攣症状が残っていたとしても、
「前に比べたら断然、イイ☆」と、
真正面から喜んでおられる。
本当に素晴らしい(感涙)
その大らかさは、崇高なまでに素晴らしいと、切に思う。

このあたしの、グジグジした性格ってばよ!
呆れるぜ!
と、自分で思う。ののしりたい。馬鹿者め!と。

年は取るとロクでもない。
特にこういう、あたしみたいなネガティブ思考モノは。
ますます柔軟性が失われてくからね。
いろんなことが、頑固に強固になる一方。
年老いてチャーミングな男性も女性も、
若い頃からぜったいチャームがあったはず。

けど、こんなあたしだって、
少しくらいはおおらかさの種は、持ってると思う。
たぶん。
一粒くらいは、あるでしょう。さすがに。
それを探し出して、育てようと思う。
コーチ氏はあたしには、いないから、
自前で育てなきゃだけどね(苦笑)

大坂なおみ選手は、
テニス界での今や夢の人になって、
子供たちにも憧れの人になってる。
でも、それはあたしにも言えること。
彼女の<ポジティブ思考>への努力は、
あたしの、尊敬と目標。
よって、あたしにとっても、憧れの人。

へんてこなファンなあたしだけど、
応援する気持ちは、同じ!
頑張れ、大坂なおみ選手!☆



DSC_6232vv.jpg





スポンサーサイト
2018-09-14 : 片側顔面痙攣のこと : コメント : 0 :

体験の<亡霊>

おどろおどろしいタイトルにしたけど、
それしか思い浮かばなかった(苦笑)

でも、これが一番しっくりくる。
体験の<亡霊>

もちろん、
亡霊っていうのは、片側顔面痙攣のこと。
体験っていのも、
当然、片側顔面痙攣での手術のこと。

おかげさまで、2度目の手術以降、
痙攣はまったく発症していない。
変化の差なしで、耳鳴りは残ってるけど。

再手術時の、担当脳神経外科医師に、
「片側顔面痙攣だったこと自体、
いつか忘れてしまわれますよ☆」
と。
退院するとき、朗らかにそう、言って頂いた。

確かに確かに!☆
幸いなことに、痙攣のことを思い出すこと自体、
日々刻々と激減していってる(感謝!涙)

けれど、ふっとしたときに。
本当に、
ふっとしたときに、フラッシュバックのように、
痙攣の恐怖を思い出したりする。

特に、そういう気持ちになるときっていうのが、
例えば、
居間でゴロゴロしているとき。
ゴロゴロしながら、楽な態勢になりたくて、
クッションを頭の下へ。
それで、モゾモゾ動いて、
体の位置を移動したりしたときに、ふっと。

「こんなヘンテコな態勢をして、
首から上に向かって、血流も姿勢も、
頭を圧迫してたら、
脳内の血管がまた移動して、
触れ合ったりしないだろうか?!」

などと想像しては、ハッ!
そして、態勢をまともに整え直して、ドキドキドキ…とか。

あるいは、
大口を開けて、ドデカいサンドイッチなんぞを頬張るとき。
ガッバーーーーッと口をおっ開けて、
ムガムガーーーッと食べるときに、
「ハッ!」
こんな顔面神経を酷使するような、
表情をし続けてたら、
また脳内神経が移動して、
血管に触れたりしないだろうか!?…とかって。

そんなふう。

恐怖体験の亡霊は、
なかなか完全には消え去らない。
あたしは臆病者だから、特にかも、しれん。
他の、手術成功なさった皆さんなら、
もうとーっくに完全忘却の彼方、なんだろうなあ。

記憶から徐々に薄まっている、
亡霊の姿ではある。
これは確実のこと。
でもただ、それでもなお、
完璧には消え去ってくれてない。
亡霊の怨霊は、こうも、しつこい(苦笑)
けど、なにせ再発してるからね、あたし。
 ※1度目の手術自体が、
  大失敗の医者選択と、大失敗の術法だったから、
  心情としては、回数のうちにカウントしたくない!けども!(悔涙)

本物の亡霊なら”除霊”とか”お祓い”とかって
まあ有るンだろうけど(←あたしはほぼ信じてないけどモ:笑)
体験での<亡霊>は、
存在が実存したヒトみたいに、強固だ。

消し去りたい。
これは、除霊とかじゃあなく、
強い心を持つことだな。
一番あたしに欠けてるヤツ。
だから、
弱るよあ(苦笑)



DSC_5987ll.jpg





2018-08-29 : 片側顔面痙攣のこと : コメント : 0 :

自由への扉

髪を切った。

ぼさぼさに伸びてたのを、一新。
バカみたいに暑い夏ってことも有るし、
美容師さんと相談して、
ツーブロックにした。

結構きっぱり、過激かもしれない。
でももう、女っぽいカッコも男みたいな恰好もあるもんか。
まあ好きなように、ファッションは挑んできた。
ってな年齢なので(笑)
誰の目も気にならん。

後頭部は、半分以上、刈り上げた。
美容室にあるバリカンの、
アタッチメントのもっとも短いヤツで刈られたらしい。
仕上がりのあと、触れてみたら、なかなかどうして、の
すンごい手触り。
ザリッザリのゴワッゴワ。
亀の子タワシと同じ(笑)
そして、ハードロッキンな刈り上げと同時に、
これまたハードなアシンメトリーにて、完成されてた。

基本、あたしは長年お付き合いのある、
美容師さんにぜんぶ丸投げ。
よほどしたいイメージ像のヘアスタイルが無い限り、
ぜんぶ、お任せ。
髪の毛をカットする長さも、残す分量も何もかも。
だから、今回もお任せ、椅子に座るだけ(笑)
ただあたしから言ったことはこれだけ。

「クッソ暑いから、イライラを吹き飛ばす
気分のパンクロックな感じでよろしくです~♪」


美容師さんは、あたしの片側顔面痙攣での
手術の2度経験を、知ってる。

この美容師さんは、たくさんの顧客を持っている人気者。
で。
人気者の理由として、
もちろんセンス抜群、ということは当然だけども、
それに加えて、人とのコミュニケーション能力のバランスも素敵。
お仕事柄、カットの最中など、
おしゃべりタイムはたくさん有るけど、その最中でも、
プライベートのどこまで踏み込んでもよいか、
あるいは、踏み込まない方がよいのか、など、
ものすごくバランス感覚が優れてると感じる。
だから総合的に、ますます人気者になってると思う。

あたしの片側顔面痙攣のことも、程良く知ってる。
術後の手術痕を見ても、驚かれない。
ちっとも、恐れていない。
「触っても大丈夫ですか?」だとか、
「バリカンで歯が触れても平気ですか?」みたいなことも無し。
何より。
「傷口が見えても構わないんですか?」なことを、
一切尋ねて来ない。
だから、あたしもとても、気楽。
感謝。
どうとも思われないことって、ある意味<自由>だと思う。


髪の毛の少ない人。
激しいくせっ毛で剛毛の人。
頭皮の炎症で
ブツブツやイボイボだらけだったりしてる人もいる。
円形脱毛症だらけの人もいる。
頭蓋骨の形が悪い人もいる。
そして、あたしみたいに、
ものすごく大きな傷跡があるヤツも。
そんなことなどを、この美容師さんは、
まったく無関心でいてくれる。
それがたとえポーズだけだったとしてもだ。
この方の、スマートさをあたしは、感じる。


あたしの手術痕は、結構なサイズだと思う。
母が見える傷の範囲を、メジャーで計ったら、
(計ってみたいと母・希望:笑)
15cmはある!と言っていた。

今回みたいに、猛烈に刈り上げたら、なるほどねと。
自分で合わせ鏡で見てみると、
なかなか立派に大きな傷だなあ!と感心した。
知らない人が、
あたしの髪の毛が風ででもめくれあがって、
この傷がふわっと見えたら、
たぶんほとんどの人が「ゲゲッすごい傷!」と。
ちょっと驚くんじゃないかな。

でも、美容師さんは気にしない。
ノープロブレムで、バリッバリに刈った(笑)
そして、仕上がりのときに、こう。
「カッコイイ~☆自画自賛~☆」

15cmはある、あたしの片側顔面痙攣での傷跡。

傷跡は、見事な1本線。
真っ直ぐにピシィッ!と、後頭部に斜めに入っている。
傷のうえには毛が生えない。
傷口は、白い1本道みたいに見える。
あるいは、白い扉のふち。

この切開した部分から、
脳神経外科医師等が、脳内へ分け入って、
痙攣が治まるようにと、
適切な処置を施してくれた。
そして、今のあたしがいる。
だから、この1本線は、自由への扉の入り口。

もう今後一生涯、開けたくないけどね。
2度も開けたしね(涙)
これだけがあたしの切望する願い!☆

熱い風が舞い上がる。
バカみたいに暑い夏の、熱い熱い熱風。
あたしの髪の毛も巻き上がる。
そのとき、あたしの白い、自由への扉も、たぶん、
よその人からは、見えているはず。

自由は、どこまでも、自由!



DSC_4850cc.jpg





2018-07-22 : 片側顔面痙攣のこと : コメント : 0 :

写真に思うことなど

デジカメのメモリ消去をしようと、パソコンへ移し、
ついでに撮影の写真群の整理をした。

片側顔面痙攣の発症をして以来、
当然だけど、
自分の<顔>が、
真正面からまともに写っている写真は、ほとんどない。

友達と出かけたときに、撮影しているものがあっても、
風景に混ざり込んでの遠めだったり、
顔が比較的近い距離での、撮影のときには、
くちゅっと、こう。
くちゅっとした笑顔を作っては、
右目の半分閉じた具合や、顔の歪みをごまかしてた。

このあしかけ7年強の、写真たちは、
とにかく、あたしにとって、
切なく苦しい思い出が、根底にずっとある。
だから、見るのも何となく気が重く、
そして、辛い。

2012年〇月。
このころはまだ歪みはマシだったな、 とか。
2014年〇月。
この辺りでも、マシなときってあったんだな。
2015年〇月。
ああ歪みが酷かったんだなこの日は。。。

とかとかって。
写真の過去を見ながら、しみじみする。
あたしの、すべての経過がそこにある。
あたしの、ずっとの悲しみもそこに。


本当に過酷な日々だった。
片側顔面痙攣の発症の日々は、
本当に過酷だけしかなかった。

精神的にホトホト疲弊していながら、
よくもまあまともに出勤し続けていたり、
知人と会ったり出来てたもんだよなあ、と思う。
感心する。
同時に、自分で自分のことを「偉いよ!」とも思ったりもする。

このまますべてが過去の物になること。
それだけを、あたしは渾身の気持ちで切望している。

この秋、家族たちと旅行へ行くことになった。
国内旅行だけどね。
姉一家が企画している。
それに両親とあたしも参加することにした。

高齢になって来ている両親は、
飛行機に乗って遠出することは、
もうこれで最後に近いだろうね、と言っている。
特に、母は腰が悪いから、長丁場の移動が難しくなりつつある。
だからほんとに、これが最後の
大・家族旅行になるのかもしれない。

そう思ったら、
カメラを買おう、と考えた。
今あるカメラは古くてもうバッテリーが、持たなくなってる。
機種自体が古過ぎて、部品交換も出来ない。
だから思い切って、買い替えちゃおうか、と。
そして、
顔を近くで写しても”美肌”に撮れるヤツにしようと(笑) 
そんなことを思えるように、なって来た。
ようやく。
ようやく、自由の身になって来た感が、出て来た。

脳神経外科のあたしの主治医に、
退院後最初の診察のとき。
あたしは「暗い洞窟から、恐る恐る外へ出て来て、
眩しい光を感じているところです」と。
そんなことを、主治医につぶやいた。
すると、主治医は、
満面の笑顔でこう言い返してくれた。

「もうとっくに、洞窟から出てらっしゃいますよ」

暗闇だった洞窟から外へ出て、
恐る恐る踏み出して、歩く。
歩き出して、少し日が経った。
振り返ると、長く潜んでいた洞窟は遠くになった。
一番近い村まであたしは辿り着いて、
今、村に居を構え、暮らしを始めた。

ふと、気まぐれに、村のはじっこに立ち、
目をうんと凝らせば、
あの洞窟が、ごくごくほんの少し見える。

あたしは、じき、大きな町へ越す。
洞窟のもうまったく見えない、都会へ引っ越す。
そういう予定で、あたしは今、生きてる。

こんな、感じが、今のあたし。

新しいカメラを買って、秋の旅行へ向かおうと思う。
耳鳴りは残っているけど、それがどうした。
あたしの、泣き叫びたくなってた痙攣は消えた。
解放された。
洞窟は遠いものになった。
あたしは、新しく生きることに決めた。

パソコンの中の、
あたしの歴史みたいな写真群を整理しながら、
こんなことをひとり、思ったりしてる。

秋には、幸福な家族写真を、
うんと、撮影するんだ~ぁ!☆




DSC_5440bb.jpg



※新機種にそれまでには慣れておかねば、
 撮影どころじゃないわいね(笑)





2018-07-13 : 片側顔面痙攣のこと : コメント : 0 :

負けないという強い気持ち

片側顔面痙攣の2度目の手術をしてから、
1年と2ヶ月が過ぎた。

幸いなことに、再手術以来、
憎々しく煩わしい痙攣は消滅している(感謝)

あたしは、痙攣に〝負けない〟という
強い気持ちでもって、
頭蓋骨に穴を開けるような、
大手術への再手術に挑んだ訳じゃない。
そりゃもちろん、煩わしさには負けたくない!気持ちはあったけど。
(この複雑な心情説明は難しいんだけども;苦笑)

病気に〝負けない〟という、
ものすごく強い強い気持ちで、立ち向かっていた方を
あたしは忘れない。


あたしが、片側顔面痙攣の手術で入院したのは、
脳神経外科病棟。
一般病棟の相部屋で、あたしはその方と出会った。

とてもとても朗らかな、チャーミングな女性で、
母と近い年齢の方だった。
毎日、
本当にほんとうーうに、毎日お見舞いに来ていた娘さんは、
あたしと同い年だったし。

先日、その娘さんに電話連絡をした。
ちょうどあれから1年経ち、
経過観察の診察で、病院に行きました。
お母さん、いかがお過ごしですか、と。


これは、
正直に言うと、
かなり覚悟と勇気のいる行動だった。

あたしは、退院してから、
秋口に一度、葉書と、12月初めには
クリスマスにカードを、送っている。
けど、
お返事はどれもなかった。
返事が欲しくて出してたんじゃない。
けど、
娘さんからの代筆葉書か、
或いは、短文メールのひとつだけでもと、願っていた。

連絡することが、怖かった。
でも、術後と退院後、双方1年経ったことで、
区切りよしと決意し、
何度か入院中・入院後、やり取りをしていた
娘さんの携帯電話へ、電話をした。


お葉書やカードや、頂いていたのに、
連絡せずにいて、本当にすみません。

退院して程なく、
その方は、旅立たれていた。

「母の死を、
私は今も全然受け入れられていなくて。
身動きが取れないんですよ」
娘さんは、笑いながら泣かれていた。



入院中、
あたしは、本当にその方と親しくさせて頂いた。
4人の相部屋だったから、他の2名の方々とも
心地よい関係を、作って頂いていたけど、
その方は特別だった。

朝ごはんもお昼ごはんも晩ごはんも、
いつも、出来るものならご一緒していた。
「一緒に食べると、病院ごはんでも美味しいね」と。
その方が何度も言って下さっていたから、
単純なあたしは、すごく嬉しかった。
何よりあたしだって、楽しかった。
病院食ははっきりって、そこまで美味しくない。
けど、確かにふたりで食べると、美味しかった。
だからあたしは、出来る限り、ご一緒した。

ただ、その方の体調が、思わしくない日が多く、
ベッドに横になられている時間がほとんどだった。
だけども、その方は本当に心底、朗らかな方だったと思う。
辛く酷い具合のときでも、
愉快なおしゃべりをなさっていた。

ベッドの向こう側から、起きてらっしゃるときには、
あたしの気配を感じ取られては、
おずおずと話しかけて来られて、
「娘からおやつを貰っているんだけど、
一緒にどうです?」と、しょっちゅう誘って下さった。

その方は、脳神経外科系統のことよりも、
他の病状で、重篤なものがおありだった。
本来ならば、そちらの専門病棟での入院が
先決だったけど、病室が当時満床で無理。
脳内にも、宜しくない腫瘍が出来ているという状況もあり、
まずはそちらからの処置、ということでの、
脳神経外科入室だったんである。

症状は日々刻刻、お辛そうだった。

でも、
「食べないと体力つかないしね」と、
ものすごく努力をして、食事を召し上がっておられた。
主治医や、看護師さん達皆さんからも、
「とにかく、何でも構わないし、
いつでも構いませんから、
食べられそうなときに、食べて下さいね」と
頻繁に言われてらしたから、
それを忠実に守ろうとされていた。

病気に〝負けない〟という、意志。
これが、その方には、
すごくすごくすごく、おありだった。

くちが渇く、とよく言われていたから、
あたしは気付く限り、
給湯室に向かい、お白湯を汲んで運んだ。

娘さんの用意で、
フタ付きコップはもちろんのこと、
小ぶりのおやかんや水筒等、
お白湯を貯めて置けるものが、ベッド脇にはいくつもあった。
あたしは、つねにそれを満たしてあげていたかった。
医療のことは、医師や看護師の皆さんが、
十分手厚いケアをなさっている。
でも、親しくして貰っているあたしにも、
何か出来ることはないか、と思えば、
お白湯を盛大汲んで運んで、常に満たしておくことと、
そして、
ごはんを一緒に頂くこと、だと思った。

寄り添っておやつを食べたり、
ごはんを一緒に食べているとき、
よく、回診の看護師さん達に「いいですね☆」と言われた。
ときには「楽しそうでいいですね☆」とも言われた。
あたしの、今回の2度目の入院生活において、
その方の存在なしには、
入院中の豊かな思いは、ない。
(勿論仲良くして下さった看護師さんのこともあるけど:感涙)

ある日の深夜。
お手洗いに目が覚めて、
洗面所へ向かったとき、
その方のベッドも見た。
いつも大概個別カーテンは開けておられたので、
見る癖がついてた。
さすがに就寝のときには、
閉めてらしたけれど、それでも隙間から見えた。

窓の方を見ながら、
ベッドの上に座り、もぐもぐ。
何か、召し上がっておられた。
お白湯は寝る前に、たっぷり補充してあるから
心配ない。
あたしは、そのうしろ姿をそっと見つめるだけにして、
あたしはあたしのベッドへ、静かに戻った。
こんな深夜にでも、食べる、ということを、
出来る限り努力をして、
頑張っておられた、そのお姿に、あたしは泣いた。

翌朝、朝ごはんをご一緒した。
テーブルの上に、銀紙のゴミがあった。
「昨日深夜に目が覚めましてね。
今なら何か食べ物くちに出来そうだなって、気になってね。
娘が持ってきてくれてた、
クリームチーズ、半分食べたの」
嬉しそうだった。

「食べないとね。
体力出ないし。
病気にも負けちゃうわよね。
だから、夜でも何でも、
食べられそうなときには、食べるの。
元気になったら、
こんなことして太るなあなんて、思うわね」

〝負けない〟という気持ちは、
本当に大事だと思った。
と同時に、とても、切ない、とも思った。
ほんとに、なんていうか。
この感情、うまく言えないけど。

〝負けない〟と、固く強く大きく思うことで、
しんどくなっちゃうことも、有るんじゃないかと思う。
だから、少し逃げ場を持つ。
だから、あたしは、小さな気持ちだけで、いこうと、思う。
なにせ、ヨワヨワだから、何事に関しても。
でも、その方は、ものすごく確固たるものとして、
〝負けない〟気持ちがあった。
気持ちの振り幅は、人それぞれ。
それでいいと思う。
人それぞれ。
個別の別人だから、当然だもん。

片側顔面痙攣という病状について、
幸いがあるとすれば、命に別状はないということだ。
(憎むべき病状だけど!)
この病状に対して、何度もいうけど、
あたしは〝負けない〟強い気持ちで手術に挑んだ訳じゃない。
煩わしさと鬱陶しさに、もう心底、疲弊してしまった。
痙攣に、引きつれに振り回される生活に、
ホトホト精魂尽き果てた。
だから、手術を2度もした。
だけ
だけ、だ。

あたしも、もしかしたら、いつか、
その方のような、重篤な病気になるかもしれない。
生きることに、関わってくるものに。

そのとき、あたしはきっと、
その方のことを思い出すに違いない。
あの、深夜、病室のベッドの上で、
窓の外の夜明けを見ながら、もぐもぐ。
あの後ろ姿のことを、思い出すとおもう。
そして、
その〝負けない〟スピリッツも、思うとおもう。
果たして、あたしにそんな強固な精神力があるか。
そこが別問題であるにせよ。
かつ、そのさじ加減も、また別問題だけれども。
それでも、その方は、
永遠にあたしの〝負けない〟先生になった。
その方の足元にも及ばないけれど、
あたしもほんの少しだけ、
ほんのほんの少しだけ、
片側顔面痙攣に囚われずいく
〝負けない〟気持ちを、作りたいと思う。


その方と過ごした2週間に、思いを馳せる。
朗らかな笑顔を忘れない。
新盆になられるこの夏。
心からのご冥福をお祈り申し上げたい。



DSC06676zr.jpg





2018-07-01 : 片側顔面痙攣のこと : コメント : 0 :
ホーム  次のページ »

プロフィール

lou.c

Author:lou.c
2013年10月、片側顔面痙攣で開頭手術を受けました。煩わしかった痙攣から解放された☆と思いきや、術後約1年数ヵ月後、また魔の痙攣が始まりました…
この症状について、さらには病というモノなどについて、さらにさらにはいろいろよしなにごとを書き綴りたいと思います。

カウンター

ランキングに参加しています

ランキング参加中です。宜しくお願いします。